4月17日水曜日鶯谷駅10時集合、16名にて 根岸を散策しました。当日は 花曇りの天気で 暑くもなく寒くもなく散策日和でした。
昔 呉竹の里と称され 文人や大店の静養の地として 鶯の音色を楽しむ里として愛された場所も 近年では違う鶯の谷に変貌しています。
根岸二丁目の狭い範囲でしたが、元三島神社・八二神社・書道博物館・子規庵・ねぎし三平堂を周遊するコースでの散策でした。
子規についての考察を簡単に
『正岡常規又ノ名処之助又ノ名升又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋主人又ノ名ハ竹の里人で始まり・・・・・月給四十円』で終わる墓碑銘を残して眠る大龍寺も近くにある。
子規庵は陸羯南が病相の子規の為に自分の近くに置いて見守る為に加賀藩前田家下屋敷の侍長屋で二軒続きの一軒を家賃五円で借りたものである。後ほど友人・知人が集まり、句会・歌会等文学談義を行うなど、子規を中心に活発な情報の発信を行っていましたが、病には勝てず 明治35年9月19日母お八重、妹お律 高浜虚子の三人に看取られて旅立って行った場所で、子規がその文学生命をかけてやかましくいった写生を一番弟子とも言える虚子の子規に対する気持ちを『子規逝くや十七日の名月に』(注・旧暦17日)と歌っている。
また、子規は辞世を作らなかったが『世の人は四国猿とぞ笑ふなる 四国の猿の子猿ずわれは』彼の35年の生涯を一首で表しているようだ。ちなみにお酒の獺祭の名前は子規に由来しているそうです。 印南 記
主見学場所
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元三島神社→八二神社→書道博物館→ 子規庵→根岸三平堂 |
書道博物館
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洋画家であり書家でもあった中村不折 (1866-1943)がその半生にわたり独力 でかい集した中国及び日本の書道史研 究上重要なコレクションを有する専門 博物館 |
子 規 庵
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正岡子規が明治27年に移り住んだ家 (旧加賀藩前田家下屋敷の侍長屋) 昭和 20年の空襲で焼失 25年に再建され27 年に東京都文化史跡に指定 |
ね ぎ し 三 平 堂
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昭和の爆笑王こと落語家林家三平師匠 の記念館 ネタ帳やテレビラジオ番組の 台本など実際に使用されていた思い出 の品々が展示されている |
笹 乃 雪 [ 昼 食 ]
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創業三百二十年の豆腐料理専門店です 豆腐は当時の製法そのままににがりと 湧き水のみを使用 |
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